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【南海トラフ巨大地震】過去の被災者と防災研究の最前線から“未来の被災地”へメッセージ
[愛媛県]
1946年12月21日に発生した昭和南海地震。建物の倒壊や津波などによる被害は西日本を中心に広範囲にわたり、死者・行方不明者は合わせて1443人にのぼりました。
当時、小学5年生だった杉野幸恵さんは今も年4回の墓参りを欠かしません。隣に住んでいた親友・田中冴子さんが家の下敷きになり、亡くなったのです。
「私らがさえちゃんに会った時はもうきれいにして、寝とるのと同じ状態やった。あの時のことは今も目に浮かぶ」(杉野さん)
江戸時代の安政南海地震から92年後に発生した昭和南海地震。それからさらに約80年が経った現在、国は今後40年以内に90%程度の確率で南海トラフ巨大地震が発生すると予想しています。
未来の災害から命を守るために、私たちに求められるものは何なのでしょうか? たとえば、東日本大震災や熊本地震など大きな災害を経て、防災対策は進歩しました。
高知県香南市には最新の“津波避難タワー”があります。避難場所の屋上には日陰がないので、一つ下のフロアにも避難スペースを確保。加えて、周辺地域に避難を呼びかける半鐘を設置するなど、夏場の避難や孤立に対応可能な工夫がこのタワーには詰まっています。
今回、四国を訪れて南海トラフ対策を視察した東北大学工学部。東日本大震災を経験した仙台を拠点に、防災対策の研究を進めています。
一分一秒を争う津波避難。しかし、旅行先や出張先などで災害に遭遇した場合、どこに避難すればいいかわからず、パニックになりかねません。
そこで、ショッピングモールなどで広告として使われていたアドバルーンを津波避難ビルの目印として有効活用。土地勘のない場所であっても、誰もがスムーズに避難できるようにする研究が行われているのです。
ほかにも、災害から身を守るべくさまざまな研究や技術開発が。詳しくはぜひ動画をチェックしてみてください。
津波研究の第一人者である東北大学の今村文彦教授には、後悔の念がありました。
「当時の推定範囲より、東日本大震災ははるかに大きかった。せっかくハザードマップの危険エリアから避難したにも関わらず、避難ビルなど安全な場所が津波に飲み込まれてしまった。想定も含めて、多くの課題を我々は持ったわけです」
もっとできることはなかったのか? 研究者たちは後悔と教訓を胸に、次の災害から命を守るための研究を続けています。
某日、仙台市の沿岸部にある旧・荒浜小学校を訪ねた今村教授。ここは、東日本大震災が起きた際に320人が避難した建物です。
4階建て鉄筋コンクリートの2階部分を見ると、「2011.3.11 東日本大震災 津波浸水高」と表示されていました。つまり、津波の被害はこの高さにまで及んでいたのです。
現在、伝承施設として保存されているこの建物。1年1組の教室には漂流物となった自動車が窓から入り込み、写真のように何台も積み重なったそうです。建物そのものが、津波の威力や恐ろしさを教えてくれています。
2021年に開園した「JRフルーツパーク仙台あらはま」(宮城県仙台市)は、150品種以上の果物を栽培し、それらの摘み取り体験ができる観光農園。実は、震災からの復興に重要な役割を担った施設でもあります。
同施設の観光農業部担当部長・渡部善久さんは語ります。
「昔までとはいかなくても、“ここ”に賑わいを取り戻す。その拠点として、この施設を作っていかなければならない。一番の集客施設にするという使命があります」
なぜ、“ここ”なのか? 実は農園の中のこのスポット、かつて住宅が建っていた1区画なんです。
「我々は(当時のものを)何か残したい。だから、街並みを残しました。街並みの中に果樹園がある」(渡部さん)
観光目的の人にも災害の教訓に触れてほしい――そんな思いを胸に“復興ツーリズム”を目指しているそうです。
昭和南海地震の被害に遭った杉野さんは、「災害は忘れた頃に起こる」と口にしました。そして、今村教授は「地震・津波の被害を知れば対策のヒントになる」と話します。
昭和南海地震の被災者、そして“命を守りたい”研究者が発する、未来の被災地に向けたメッセージをぜひ受け取ってください。
【基本情報】
放送日:2023年12月15日
放送局:南海放送
番組名:NEWS CH.4
出演:白石紘一アナウンサー
取材先:東北大学 災害科学国際研究所(〒980-8572 宮城県仙台市青葉区荒巻字青葉468-1)、震災遺構 仙台市立荒浜小学校(〒984-0033 宮城県仙台市若林区荒浜字新堀端32-1)、JRフルーツパーク仙台あらはま(〒984-0034 宮城県仙台市若林区荒浜新2-17-1)
(編集:ノオト)